日本最大の淡水魚 イトウ撮影体験記4〜番ツガイ〜
お久しぶりです。
近頃は告知ばかりのHPとなっており、ブログ記事を長らく放置してしまいました。もし、万一、待っていてくれた尊い皆様方にはお詫び申し上げます。
実は先日オーストラリアの水中写真の国際的なコンテスト(The Ocean Geographic Pictures of the Year Competition 2024)のMaster Portfolioというカテゴリーでイトウの組写真に特別賞(Special Mention)をいただきました。
少しでもこうして国際的にもイトウやその保護活動をアピールしていけたらいいな、と思っています。
ブログやSNSでは未公開の写真も多くありますが、いつか、これらの作品を撮影したときのエピソードなども記事にできたらいいな、と思います。
今回は、幻の怪魚イトウの撮影を始めた2022年の体験記の続きを書きたいと思います。(2022年以降も毎年撮影し続けています)
もし本記事を初めて目にしたという方は是非イトウ撮影体験記1から順にどうぞ。
季節は春、雪解け水で増水する川にイトウは産卵のために遡上してきます。ちょうど4日間撮影日を設定していました。体験記3では2日目にオス単体の写真をわずかばかり、やっとの思いで撮影できた、というところで止まっていました。
ついに後半戦3日目に突入です。
※本撮影は北海道南富良野町の許可および専門家の指導の下進めています。
本記事の意図すること
私が撮影を通して実際に見て感じたことをリアルにリポートしながら、イトウという生き物を今よりもう少し身近に感じ、理解を深めてもらいつつ、自然との関わり方についても考えてもらえるようにすることを目的に掲載しております。
イトウ撮影3日目「接近」
暑い日が続いていたこともあり、各川の状況が毎日激しく変化している中、2~3個体のメスが遡上している場所を見つけました。
メスが遡上している限り必ずオスもやってきます。
メスのフェロモンのようなものを察知してオスは後から追ってくるのだそうです。実際、後方から追いかけてきているオスも何匹かいることは確認済みでした。決定的な瞬間を逃したくない、と思いつつも、ドライスーツを着て、重たい荷物を持つ私の移動速度ではどう対処するのがいいのか悩ましいところでした。
川幅も広く、姿を隠す茂みも少なかったため、イトウの警戒心は強くなりそうな場所でした。ただ、警戒心には個体差や人間にはわからない絶妙な要素もあるので、運を天に任せるしかありませんでした。
ひとまず最初に見つけたペアを観察することにしました。
メスはまだちょうど産卵床を掘り始めた段階(だそうです)。私は自分の背丈を超える薮の中に身を隠しながら川辺に近づき、川に降りられそうな場所を探しました。
陸上にいる私たちを警戒する様子はないか、川の水に触れた瞬間に嫌がるそぶりはないか、一つ一つの動作ごとに彼らの様子に変化がないかチェックしました。
イトウの天敵
イトウが稚魚の時は普通の水鳥も天敵になりえます
イトウは川の生態系の頂点だから無敵、のようなイメージもなんとなくあるかもしれませんが、あくまで「大きく成長できれば」「川の中では」という話です。
80cmほどのイトウであれば、ワシに捕食されることもあります。ここ北海道では、大都市からちょっと離れるだけでそんな猛禽類たちは至って普通に生息しています
カラスが上空を通過するだけでも緊張状態に入ることがあります
繁殖活動中はどうしても無防備になりやすいことや、産卵後も無事に生き続けなくてはならないことを考えると気をつけて気をつけすぎることはないのだろう、と想像します。
水に入ってまず驚いたのは5メートル先があまりよく見えないことです。上から見ているととても澄んだ水に見えていましたが、実際には5メートル先がぼんやりと見える程度。」
これが海での撮影と違うところです。海では水深5メートルの水底が見えていれば、透明度は良い方でしょう、しかし川は深くても1メートル、この時は60cmくらいだったでしょうか。水底はもちろん見えます。
こういった状況で横方向の透明度を予測できるほど川撮影に慣れていたわけではないので、面食らいました。(オオサンショウウオを撮影していたときは夜が多かったのと被写体に容易に近づけたので、透視度、透明度はほとんど気にしていませんでした)
この状況で、保護色に近いメスを、私はほぼ視認できませんでした。彼らにアプローチするためには陸上の草木の位置関係を正確に覚えて近づくか、色が目立つオスを頼りにするしかありませんでした。
まずは地形を目印にゆっくり近寄ってみました。座標的には場所は合っているにも関わらず、オレンジ色のオスが見えずに不思議に思っていました。
一旦落ち着こう、冷静になろうと深呼吸したその瞬間、単独でいるメスが見えました。予想よりもはるかに近距離にいることがわかった瞬間は心臓が冷えるような感覚になりました。
「やらかしたな…?」と。
オスとメスは常にセットで動くものだと思い込んでいたこと、彼らとの対峙はまだほんの3度目だったこと、緊張していたことも加わって、メスの存在に気づけなかった失態に愕然としました。パニックになりそうなのを抑えながら状況を整理します。
オスは私が川に入るや否やという瞬間に姿を隠したのか?
それともある程度近づいてから逃げたのか?
メスは警戒しつつも逃げなかった?なぜ?
いろんな疑問が頭の中を駆け巡りました。
私はこの後どう行動すべきなのか?
このまま待てばオスは戻ってくるのか?
今すぐ川から上がるべきなのか?
少し後退するべきなのか?
ひとまず「待ってみた」。というより、動揺しすぎて硬直していた、が正しいかもしれません。何分経ったでしょう。遠くの方にオスの気配があるものの(視界の端にオレンジがチラッと見える時があるけど)…戻って来ない。
もう一度考えました。
目の前のメスは順調に産卵床を掘っていました。
このままオスが戻ってこないとどうなる?
オス不在のまま産卵する?未受精卵のまま?まさか?
いや、でも、万一そんなことになったら居たたまれなさすぎる…
そもそも産卵床は今どれくらいまで完成している段階で、私はあとどれくらいなら待つことが許される?
いろいろな疑問が湧き起こるのと同時に、これ以上産卵行動を妨害してはいけないと思い、陸に上がりました。
その後、しばらくするとオスが戻ってきました。見守っていると、彼らは遡上を再開しました。
「彼らをさらに追跡する」という選択肢もありましたが、しつこく付き纏って、これ以上のストレスを与えることもしたくなかったので、諦めて別のペアを探すことにしました。
最も優先されるべきは彼らの生活が滞りなく進んでいくことです。あくまで私は撮らせてもらっている身であり、撮影が彼らの自然な営みを大きく妨げるものであってはならない。と思っています。
もちろん、自然に対する影響をゼロにして撮影することは究極に言えば不可能です。ですが、1つ1つの知識や経験を活かし、気遣いを持って行動することで限りなくその影響を減らすことができ、その努力は惜しまない、というのが大事だと思っています。
今回のことでイトウの行動について重要なことを理解できました。
「ペアで遡上する」と聞いて仲良く一心同体のように行動を共にする様子を想像していましが、それはちょっと違う、ということです。
遡上と産卵はメス主導で進んでいき、それにオスが付いていく、というように産卵行動の重要な決定権はメスが握っています。オスはオスで自分の子孫を残すことに必死で、そのための行動に集中しています。それぞれの仕事(役割)をそれぞれが粛々と遂行する、という感じでしょう。
些細な気づきかもしれませんが、こういった理解が実はすごく重要だったりします。
さて、この日はこの後も運良く別のペアを見つけることができました(このペアをD3ペア、と呼びましょう)。3日目はこれまでなかなか出会えなかったのが嘘かのように次々と見つけることができました。
D3ペアのメスはゆっくりではあるものの確実に産卵床を掘り進めており、オスの方はソワソワして忙しない様子でした。こちらから見ている分にはメスの邪魔をしているのかと思うくらいです。
おそらく卵を食べてしまう小魚や小さなオスを追い払っていたのかもしれないけれど、それにしても落ち着きがない。
私は先ほどの失敗がある分、慎重に観察していると、下流から色鮮やかなオスが遡ってくるのが見えました。下流から上がってきたオス(NEWオス、としましょう)がD3ペアの5メートル圏内に侵入した瞬間、先手のオスは弾丸のように突進していきました。
片方が腹部に噛みつき、バシャバシャ激しく暴れました。噛み付かれた方も負けじと噛みつき返し、蛇のように絡み合い、動力を失った2匹は川に押し流されて消えていきました。
産卵期の後半ともなると大概は各オスの序列が決まってくるので、激しい争いにはならないことが多いそうです。この時期にしては珍しいバトルなんだとか。あまりの迫力に興奮していましたが、その後には淡々と産卵床を掘りつづける1匹のメスが取り残されていました。
このメスはこの後どうするのだろう…という疑問は愚問です。どこからともなく別のオスが現れました。さらには30分もしないうちに下流から(おそらく)さっきのNEWオスの方が戻ってきました!
何度もオスが入れ替わり、もうどれがどれだかよくわからない程でした。
ときには一瞬で決着がついたり、ちょっとオスが離れた隙をついて別のオスが来たり、しばらくはメスの奪い合いが繰り広げられて忙しない時間が続きました。
その間もメスは周囲のオスたちの騒がしさには目もくれず、動揺することもなく、むしろリズム良くひたすらに産卵床を掘り続けていました。
最終的には他の個体よりも色鮮やかで体もやや大きく、その上落ち着いた泳ぎでメスをエスコートするオスがメスの隣を勝ち取りました。
これまでのオスとは違って見ていてうっとりするような優雅な泳ぎ方には安心感を覚えました。心なしかメスもリラックスしているような?(新生D3ペアが爆誕)
イトウのオス同士の戦い
明らかに大きさが違う場合は、すぐに勝負がつきます
同じくらいの体格だった場合、産卵期初期には激しい争いになります、お互いに噛みつきあったりもします
産卵期後期ではオス同士も概ね順位が決まってくるので激しい争いにはならないそうですが。
イトウの歯はカミソリのように鋭利で初めて見た時はサメかな?と思うほどでした。それほど鋭い歯で噛み付くため、繁殖期が終わった頃のオスはボロボロで鱗がなくなることもあります
鱗が再生する前に十分な栄養を摂れずに感染症にかかれば命を落とすこともあるでしょう
多回産卵するから産卵後も生き続ける、とは言っても繁殖は命を懸けた行為であることは間違いありません
ちなみに、オス同士の争いで負け続けたオスは婚姻色がどんどん色褪せていきます、あたかも自信を喪失しているかのようです
逆に負けなしの強い個体は色鮮やかだったりします。稀にやや小さめのオスにそういう個体がいるのを見つけたりすると、「将来有望だなぁ」なんてワクワクしたりもします。
撮影に入るなら今だろうな、と思い川に入ることにしました。
私は姿勢を低くして、地面と一体化するようにズルズルと上流側から川に入りました。引きずった泥が流れていく様子を見つめながら、今回はメスとオスが両方ともしっかりと視界に入るまでじっと待ちました。
とは言え、あまり真正面から目は合わせないようにしました。代わりに、産卵床を掘る時に小石同士がチャリチャリとぶつかる音も聞き逃さないようにしました。
人間でも見えてなくても「視線を感じる」ってありませんか。そういう「圧」みたいなものを極限まで抑え込んで周囲の景色に同化するイメージでアプローチしました。
幸いにも今回のオスは私が水に入っても逃げる様子も隠れる様子もなく、むしろそれを逆手にとって、オスでメスの視界が遮られるタイミングに合わせてにじり寄ってみました。
撮影している途中でゆーっくりとメスが離れていきました。オスはメスを追ってどちらも見えなくなりました。
一旦休憩だったのか、私の存在が気になってしまったのか、色々想像しつつ私も陸に上がりました。産卵には辿り着けませんでしたが、初めて手応えのある撮影ができたのでとても嬉しかったですし、個体それぞれの性格も本当に色々なんだな、と改めて感じました。
陸でしばらく待っていると同じ場所に新生D3ペアが帰ってきました。メスの産卵床造りはかなりゆっくりなので1時間くらい開ければ再度川に入るチャンスはありそう、ということでしばらく観察しました。
周囲が山に囲まれていることもあって、午後4時を回ると影ってきます。この状況で水温7℃の冷たい水に頭まで浸かるのは結構堪えます。今日の撮影ラストチャンスでした。産卵を撮影するのは無理そうではありましたが、近くで見たい、もっと知りたい、撮りたい、そんな気持ちで撮影しました。
オスのエスコートのテンポに乱れがないことを確認しながら、メスの産卵床造りに澱みがないか、全神経を集中させながらアプローチしました。
ひとしきり静止画撮影をしたあと、動画を撮影する時に初めてファインダーから目を離して彼らをじっくり観察することもできました。そんなに長い時間ではなかったかもしれませんが、この2日間、待ち焦がれていたものを目の前にできたのは感動的でした。撮らせてくれてありがとう、という気持ちでいっぱいでした。
今まで鮭の遡上を川で撮影して直に見たこともありましたが、やはり普通の鮭とは違います。
遡上した後の身体にも関わらず傷が少なく、とても美しい、と思いました。
イトウは海を回遊してくる一般的な鮭よりも皮膚が厚くて丈夫らしいです。多回産卵の特性上そうである必要があったのでしょう。一生のうち、何度も鮭みたいにズタボロになってたら、文字通り体が持ちませんもんね。
日が暮れた後の山は危険なので、この日はここでタイムアップです。
イトウ撮影4日目「観察」
撮影日程もついに最終日となりました。
前日のD3ペアがいた場所にもう一度行ってみました。まだ産卵している可能性もあったからです。
昨日の夕方の産卵が1回目であれば、翌日の午前中もまだ産卵している可能性は大いにあります。(夜中は産卵しないはず)
そうしてたどり着いた先に、なんとペアがいました!奇跡!しかしなにやら昨日と様子が違います。川底の産卵床の数や位置などを考えるとこのペアは昨日の新生D3ペアではない、という見解に至りました。
では昨日のペアはどこにいったのか…?
少し上流を捜索したところ、すでに産卵床を埋め戻しているペアがいました。おそらく上流側にいるのが新生D3ペアだった可能性が高いです。
到着が一歩遅かったようです。
イトウの産卵にかかる時間
イトウも他のサケと同様に複数回に分けて産卵します。南富良野ではメス1匹が平均5回に分けて数千個の卵を産みます。
産卵床を掘り始めてから、埋め戻すまでに平均3時間ほどかかります。
連続して産むかもしれないし、しばらく休憩したり、さらに上流に移動するかもしれません。
もしちょうど5回産卵する個体が、5回連続して産み続ければ遡上当日中に産み終わる可能性もありますが、場所を選ぶ時間なども考えると、早くても1日半以上はかかりそうな印象です。
4日目の朝に新たに見つけたペア(これをD4ペアとしましょう)を追跡しながら撮影の機会を伺うことにしました。
産卵場所としてはとても良さそうな場所で、D4ペアが止まりました。産卵候補地として吟味しているのか、わずかに見える私の姿を警戒しているのか定かではありませんでした。
茂みに身を隠して観察すること2時間…
膠着状態でした。D4ペアはほとんどの時間をやや流れ強い中央付近に留まっていました。数十分に一回程度、川の流れの緩い場所に移動し短時間休むだけでした。上空の天敵に見つかりやすくなる場所に留まり続ける理由は全く検討がつきません。
ごくたまに岩盤状の川底に体を擦り付けているのも不思議な行動でした。
メスの不思議な行動を考察する
① 川の中心付近に長時間いるということは、その場所が気に入ってはいる。
② 産卵したいが、陸上の私が気になっていて、いなくなるのを待っている。
③ 産みたい気持ちだけが逸っているが、腹の中の卵が産める状態ではない。(成熟していない)
など色々考えてみるも、陸上から見ているだけではもう埒が明かないので、ひとまず川に入ってD4ペアの様子を伺うことにしました。私が水に入る瞬間にイレギュラーな行動を見せるようなら深追いせずに撮影を諦める、という判断材料にもなります。
音を立てないようにズルズルと滑り込むように川に入ってみました。何度目かのトライということもあってか冷静かつ素早く水中でイトウの姿を捉えることができるようになっていました。
オスもメスも先程いた場所から動いていません。相変わらずメスは何をするでもない状況だったので、どうやって距離を詰めるか難しいところでした。動作を最小限にして、音(振動)を発生させないようにうまく体重を移動させながらアプローチしました。
よくよく見ると川底が少し窪んでいるので、何度が川底を彫った形跡はありますが、掘り進める様子はありません。
オスがたびたび姿を消すもすぐに戻ってくるので、他の小さなオスを追い払っているのか?と思いつつ、撮影していると最後はメスもどこかに行ってしまい、休憩タイム?に入りました。
まだまだ彼らの気持ちを理解できるようになるには道のりが長そうだなぁと思いつつ陸から観察することにしました。
10分以上姿が見えなくなり見失ったのかと心配になることもありましたが、戻ってきては岩盤状の川底に体を擦り付けている行動を繰り返す様子がありました。
このことから「①場所は気に入っている+③腹の中の卵が産める状態ではない+警戒心が強いかも(前日の新生D3ペアよりは)」と想像し、機会を伺いつつも数時間観察を続けましたが産卵床を掘り進める様子もなく日が暮れてタイムアップ。
2022年の産卵期のイトウの撮影はあっけない形で終了となりました。
4日間のイトウ捜索と撮影を振り返って
イトウの撮影は、もちろん、初めてだったこともあって準備不足だった部分もありますが、思っていた以上に体力面で苦労の多い4日間でした。こんな大変な調査を日夜続けておられる研究者の皆様には本当に頭が上がりません。
イトウの行動の一つ一つが何を意味しているのか、ほんの少しだけでも分かったことで、彼らの姿を撮影して伝えていく、というこの活動にとって大きな一歩となりました。
撮影しながらたくさんの知識を授けていただいたり、実際に彼らと対峙して感じたことがうまく伝わっていたら嬉しいです。
PADI Divemaster #832577 ダイビング✖️写真✖️旅 = 世界の海・自然と人と人と社会を繋ぐ 言語・距離・文化の壁、全部越えて、 もっと自由に、もっと楽しく、 興奮と感動と癒しの海への扉となることを目指します。