構図法に頼らない!?言語化が鍵 ~水中写真上達への道のり vol. 7

構図法に頼らない!?言語化が鍵 ~水中写真上達への道のり vol. 7

2022-06-08 0 投稿者: Sayaka

これまで当ブログでは具体的な撮影テクニックとか、撮影機材の使い方のような、写真の外面のような部分を解説させていただいておりました。

 

今回は少し趣向を変えて、「画作り」「発想力」「新しいものを産みだすきっかけ」といった、写真を一つの芸術・創作活動として、私自身も最近気がついたことをご紹介します。

 

こういったことには絶対的な正解はないのだと思いますが、一つの案として試してみてもいいのかな、と思います。

何度撮影しても何か違う、自分の殻を抜け出せない

ある程度思ったように水中写真を撮れるようになってくるとぶち当たる壁、というか、成長の頭打ち、のような感覚を感じている方もいるかもしれません。

 

今まさに私ももう何が何だかよくわからなくなってきている渦中におります。

撮影した写真を見て、悪くはないんだけど、自分だけの作品という感じではない、新しくない、どこかで見たことがあるような、なんかしっくり来ない。

 

実例として、ある水中の地形ポイントでの写真を見ながら解説します。個人的には、結果的に面白い写真になったと思ってます。

セオリーに頼りすぎたせいで何か違う、になった実例

この写真は北海道の積丹で撮影した柱状節理と呼ばれる地形です。マグマが急激に冷えることで形成される柱状の岩盤です。

この写真は北海道の積丹で撮影した柱状節理と呼ばれる地形です。マグマが急激に冷えることで形成される柱状の岩盤です。

 

なんとなく、地形だから全体像を写真に収めたい、とか、煽って(チルト)撮影したらいいんじゃないか、とか、水に濁りがあるから寄らないといけない、とか、いわゆる水中での広角撮影のセオリーのようなものに知らず知らずに縛られてしまっていました。

 

元々、生物の撮影の方が好きで、地形撮影の経験があまりなかったということもあるかもしれません。

 

その結果、どこか見たことあるような、オリジナリティのない風景になってしまったように感じました。


すごくカッコいい地形なのに、私の感じているそのカッコ良さを表現できていない。この写真を見ても実際に見た時に湧きあがった気持ちを感じられない。と思っていました。

構図法は結果論?

よく構図が良ければをいい写真になる、とか、正解の撮り方がある、とか思われることがあるかもしれませんが、私は構図法というのは結果論なのではないか、と最近思うんです。

 

世の中にある素晴らしい写真を参考にして真似しようとした時、それらに何らかの共通項を見出そうとしたとき、それがたまたま三分割法だったり、黄金率だったり、日の丸だったりにあてはまった。というだけなのでは?こじ付けな部分もあるのでは?と思うことがあります。

 

つまり構図法ありきでいい作品が生まれるのではなくて、いい作品には何かしらの構図法が当てはまることが多い、みたいな、みたいな感じです。

 

だから構図法に当てはまってさえいればいい写真というわけではないと思うのです。


もちろん、何も思いつかない時や行き詰まった時に構図法がヒントになることもあるはずなので知っていて損はないかもしれませんが、そこに囚われすぎると表現の幅を狭めてしまうかもしれません。

「良い」と思ったものを具体的に言語化する

最近、構図法よりもなによりも大切にしているのは、「良い」と思ったものを言語化することです。


例えば、「色が綺麗」なことが被写体の魅力だと思ったら、どの色が綺麗なのか、どんな風に綺麗なのかを考えてみるんです。「赤と白の対比が良い」とか「赤があるからこそ白が引き立っている」とか「グラデーションが美しい」とか、「少し燻んだ色味が渋い」とかそんな感じです。

 

普通に生きていると視覚、聴覚、触覚、嗅覚などから常に大量の情報が入ってくるので、イチイチどれがどうとか考えていると、とっても疲れるはずなので考えないのが普通かもしれません。


その大量の情報の中から綺麗とか可愛いとかカッコいいとか感じている瞬間の気持ちを具体化するには、意識的に深掘りする訓練する必要があるのだと思います。

私の言語化の例

私は積丹以外でも水中の柱状節理を見たことはあるのですが(与那国島とかソコロ諸島とか)、積丹の柱状節理って格段に美しいと思うんですよね。

 

実は1年くらい考えた末のたどり着いた表現として、

  • 1本1本の柱が小ぶりではあるものの、それぞれの形が揃っていて規則的に並んでいること。人工っぽいけど自然にできたものだなんてすごい。

 

  • 柱みたいな構造も素敵。

 

  • 花崗岩?みたいな岩肌の白黒のモザイク柄のなかでも白が発光するような色で黒との対比が綺麗だった。

 

  • 比較的浅いので太陽光がよく届くこと、そういうときは積丹の水色が独特のシルバーブルーになるのがとっても綺麗。

固定概念に捉われない

濁ってるからもっと近づかなきゃ、とか、「こうしなきゃ」というのは一旦忘れて。

 

まずは先ほどあげたような柱状節理の魅力を写真一枚の中に収められる場所がどこなのか探しました。とにかく泳ぎまくって、「ここだ」という場所の候補を何箇所か探しました。


いくつかの場所で撮影して、一番イメージに近かった場所撮影を続けることにしました。

 

ファインダーを覗きながら少しずつ移動してシャッターを切ってはチェック。

 

ダイバーの吐く泡の形や泳ぎ方も観察しながら自然な姿勢になる瞬間とか、「どうかそこから動かないでください。」とか念じながら(笑)イメージに近くなるように何度も設定を変えて撮影しました。

 

この時PCで現像する時にどこまでコントラストを出せるだろうか、とか、大きめの浮遊物が写り込んでないことなどをチェックするといいと思います。

 

その結果生まれた作品がこちらです。

現像する時は至近距離で見た時の質感や色味も参考にする

自宅のPCで現像するときに大切にしているのは近距離で見た時の色味の再現です。

 

私はできるだけ被写体を近距離で、時にはライトを当ててみたり、色んな角度で観察するようにしています。その日の天気、太陽の位置、水深なども含めて周辺の環境もできるだけ記憶しておきます。


もちろん生物の場合は限界もあるかもしれませんが、柱状節理は手で撫でて質感を確かめたりもしました。

 

海の中で被写体と距離が離れていると全部が青っぽく見えてしまい、実際の色がどうだったかとかわからずに「ぱっと見のいい感じ」になるように現像してしまっていたことも以前はありました。

ですが、それはやっぱり「私が現場で感じたこと」ではなくて、なんか嘘くさいような気がしてしまい違和感を感じていました。

 

最近は少しずつではありますが、そのときに見た色や感じた質感を表現できるように現像できるようになってきたように思います。

ある意味で多視点画のような作品に仕上がっているのかもしれません。


そのためにも撮影したら、そのときの記憶が薄れる前に早めに現像することを心がけてます。備忘録的に作品とは別に参考写真を撮っておくのもオススメです。

まとめ

  • 写真を撮り続けていて、特に「もっと上手くなりたい!」と思っている人にほど言いたいのは「構図法は一旦忘れましょう」です。
  • 「こうしなければならない」というのはない、それも忘れましょう。
  • 何を一番に表現したいことなのか、それを引き立てているのは何なのか。これくらいの要素だけに絞り込んで写真の中に配置する
  • 近距離で観察した被写体の色や形、質感を覚えておくとより良い

結局のところ、写真表現で何を表現したいか、なんて自分の中にしか答えがないのです。

 

「ヤバイ」「エモい」とか、感情を表す言葉がどんどん簡素化していく時代の中で、写真を撮る時はその逆のことをしなくてはいけないんです。普段やらないことだから、意識してやらないと身につかないことなんですよね。

 

もちろん、写真を始め立てで、何が何やらよくわからないけど、「なんか綺麗な写真撮りたい」「人に見せられるくらいになりたい」って思ってる方にはいつも三分割法をお薦めしています。

 

ご自分の成長段階に合わせて色々模索していくしかないのかな、と思います。近道なんてないんだなぁと思う今日この頃です。

 

それではまた。

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